
◆拍手のあとで
奈葉が、モジュールレイアウトの説明を終えると、会議室からは思いもしなかった大きな拍手が広がる。
彼女が軽く一礼して座ると、相原はそれを確認してから、卓上のマイクを手にする。
「佐橋さん、ご説明ありがとうございました。
完成したモジュールを拝見できるのを、皆さんと同じく楽しみにしています」
◆次の例会と、ひとつ先の未来
一拍置き、事務的な口調に戻る。
「では最後に、来年の公開運転会の予定についてお知らせします。
毎年1月に行ってきた新春公開運転会ですが、コミュニティセンターが改修工事に入るため、来年は休会とします」
会議室の空気が、わずかに動いた。
「次の例会は、2月の第2日曜日になります。
日程をお間違えのないよう、お願いします」
淡々とした説明に、メンバーは「そうか」と小さくうなずく程度だった。
ただ一人、亮太だけは違っていた。
(え……1か月に一度しか会えないのに、次は2か月後?
奈葉さんに会えるのが、そんな先になるのか……)
隣に座る奈葉の横顔を、ちらりと盗み見る。
(今こうして隣にいる時間が、どれだけ貴重かってことだよな……)
亮太は、今日の歓迎会で何としても写真を撮り、
「お疲れ様でした」の一言を添えたLINEを送ろうと、密かに決意した。
◆ショッピングモール公開運転会
相原が、少し声のトーンを上げて続けた。
「それから、来年5月ですが――
久しぶりに、ショッピングモールの特設会場を使った公開運転会を予定しています」
その瞬間、会議室がざわついた。
「期間は3日間。モジュールレイアウトは、当クラブの最大規格を使用します」
相原は視線を巡らせながら続ける。
「いつもと違い、来場者数もこれまでとは桁違いに多くなることが予想されます。
成功に向けて、皆さんのご協力をお願いします」
奈葉は、亮太の袖を軽く叩き、小声で尋ねた。
「亮太くん……ショッピングモールでの公開運転会って?」
亮太も声を落とす。
「実は……僕も一度しか経験していないんです。
いつもの運転会とは違って、ショッピングモールは買い物や食事のついでに足を止めるから、本当に人が多いんです」
「それは……大変そうね」
「広告にも載りますよ。
『協賛・レイルフレンズ』って、モールのチラシにもね」
「へぇ……」
「鉄道模型のレイアウトって、集客効果が高いんです。
だから、モール側にとってメリットは大きいんですが……」
亮太は少し言い淀んだ。
「ただ、3日間となると、レイアウトや車両のトラブルも出やすくて……」
「うわ……」
奈葉は、このクラブが単なる趣味の集まりではなく、地域に根付いた存在なのだと、改めて実感した。
◆思いがけない指名
ざわめきが収まらない中、森下がマイクを取った。
「そのショッピングモールでの公開運転会だが――
佐橋くんのモジュールも、組み込もうと考えている」
奈葉は、思わず背筋を伸ばす。
「いくつか確認したい点もある。
2月の例会までに、モジュールを仕上げてほしい」
奈葉は、
(えっ……実質1か月半で完成させるの?)
一瞬、言葉に詰まる。
森下は念を押すようにいった。
「やってくれるよな」
「……あ、わかりました」
「ありがとう。引き続き亮太をアシスタントに付けるよ」
亮太の方を見て、
「おい、頼んだぞ」
「はい、承知いたしました!」
即答に、森下は苦笑する。
「お前、こういう時の返事だけは本当にいいな」
亮太は照れたように頭をかいた。
横で相原が、
(代表の突然の思いつきと、せっかちぶりは、いつも変わらないや)
と心の中でため息をついた。
◆それぞれの胸の内
一方、亮太の胸の内は違った。
(やった……これで奈葉さんと会う口実ができた。
2か月後だと思ってたのが、一気に縮まった)
と心の中で喝采を叫んだ。
奈葉が小声で聞く。
「亮太くん、大丈夫なの?」
と小声で聞く。
亮太が答える。
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ありがとう」
相原が話を戻した。
「それから、8月は鉄道模型フェア出展、10月は合運に参加するため、例会はお休みになります。
どちらも詳しくは決まり次第お伝えします」
奈葉が首をかしげて、
「亮太くん、『ゴウウン』って何?」
とささやく。
「合運とは、合同運転会の略ですよ。
毎年秋に、他の鉄道模型クラブと合同で運転会や懇親会をするんです。
鉄道模型誌の取材も来ますし……かなり賑やかになります」
「へぇ……クラブ同士、横のつながりもあるのね」
と感心する。
◆散会、そして片付け
相原が締めくくる。
「では、これにて散会とします。
本日はお疲れ様でした。
皆さん、良いお年をお迎えください」
拍手とともに、例会は終わった。
メンバーは自然とテーブルや椅子を片付け始める。
奈葉も立ち上がろうとすると、相原が声をかけた。
「佐橋くん、ホール横にソファがある。
そこで待っていてくれたらいいよ」
「いえ、私はお客さんじゃないですから、お手伝いさせてください」
奈葉はそういって、バッグからウェットタイプの雑巾を取り出し、手際よくテーブルを拭いて回った。
それを見た森下が笑う。
「副代表は『私はクラブの雑巾がけ担当です』なんていってたが、佐橋くんの方がよっぽど率先してるな」
「これじゃ、佐橋くんが副代表みたいですね」
と相原も苦笑する。
メンバーも、奈葉のさりげない気遣いに感心した様子だった。
やがて人影もまばらになり、会議室には森下、相原、亮太、そして奈葉だけが残った。
「じゃあ、私らも帰るとするか」
森下がいい、会議室の蛍光灯を消し、鍵を掛ける。
4人はホールに出た。
亮太の目には、“あのロッカー”から奈葉がコートとマフラーを取り出し、身に着けている姿が映った。
その一連の動作がやけに鮮明に見える。
(ふぅ、ここまではノーミスだ。これからもこの調子で……)
と意気込みを固める。
◆帰り道の車内
冬の日暮れは早い。
曇り空のせいか、外はもう薄暗かった。
駐車場まで歩き、森下の車に乗り込む。
森下が運転席、相原が助手席。
二人の動きは、長年の習慣を感じさせる自然さだった。
亮太が後部座席のドアを開ける。
「佐橋さん、どうぞ」
「失礼します」
「うちまで、10分もかからないよ」
森下がそういい、車を出す。
小雨が降り始め、ワイパーが静かに動いた。
見慣れた街並みを、他人の車の窓から眺めながら、奈葉は不思議な感覚に包まれていた。
(故郷を離れ、一人住まいで会社へ通っている毎日だった。
なのに、年も仕事も違うのに……同じ趣味で、こうして繋がっている。
生きていると、面白いこともあるものね)
一方、亮太は隣に座る奈葉を意識し続けていた。
先月、自分の車で送った時とは、どこか違う緊張感がある。
◆予期せぬ揺れ
その時だった。
前を走る自転車が、ふらつきながら車線に入ってきた。
「おっと!」
森下が声を上げ、クラクションを鳴らし、ハンドルを切る。
その反動で、奈葉の身体が亮太に覆いかぶさるように触れた。
柔らかさと体温。
頬にかかる黒髪の感触。
一瞬、抱き寄せているような錯覚に陥る。
「ご、ごめんなさい……」
奈葉は慌てて身体を離す。
「だ、大丈夫ですか、佐橋さん」
「はい……びっくりしましたね」
と目を丸くする。
森下がルームミラー越しに頭を下げる。
「いや――すまん、すまん 。
夕暮れに小雨で、気をつけてはいたんだが……」
相原がいう。
「こういう時は怖いですね。
代表はスピードを出さないから助かりましたよ。
後の二人もシートベルトをしないとダメですよ」
車内に、ほっとした空気が流れるなか、亮太の胸の高鳴りだけは収まらなかった。
奈葉の体温。
一瞬、触れた重み。
それは、例会で感じた、
「守る必要もないし、支えることもない」
という距離感を、静かに崩していく感覚だった。
◆揺らいだ境界線
一方、奈葉はシートに背中を預け、視線を前に戻す。
(……驚いた)
そして胸の奥には、小さな波紋が残っているのを自覚していた。
私の時間は止まったまま……。
そこから先へは進まないと決めたのは、自分自身。
その境界線は、今も変わらない――
いや、変えられないはずだと。
森下の車は、信号で静かに止まった。
ワイパーの音だけが、規則正しく響く。
亮太は、窓の外を見つめながら、自分の鼓動を悟られまいと、そっと息を整えていた。
奈葉はマフラーの端を指でつまみ、小さく息を吐く。
(今日は……少し疲れただけ)
そう結論づけながらも、
その言葉が、どこか宙に浮いていることを、
奈葉自身が一番よく分かっていた。
[つづく]