テツモ女子 佐橋奈葉の今日も模型鉄!

初めまして、鉄道模型が大好きな少し不器用なモデラーです。 よろしくお願いします❗️

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第57話 家へ帰る日

◆退院の朝

 

音更の実家――

 

奈葉のスマートフォンが光り、「ピピピ」と一定のリズムでアラーム音を鳴らした。

眠い目をこすって起き上がると、カーテン越しに差し込む朝の光が、ベージュのシーツに柔らかな影を落としていた。

 

今日は、母が退院する日。

それは分かっているのに、どこか現実味がなく、まるで長い夢の終わりに立っているような、不思議な感覚だった。

 

退院は午前10時ごろと聞いていたので、奈葉は兄の修一と一緒に、30分ほど前に着くように家を出た。

車は初夏の日差しを浴びながら、静かな十勝の道を走って行く。

車窓の向こうには、果てしなく広がる空と、初夏の緑に染まった畑が続いていた。

 

のんびり流れる景色を眺めながら、奈葉の胸には、この数日の出来事が走馬灯のように次々と蘇って来た。

突然の搬送。
慌ただしい帰省。
そして、ようやく迎えた退院の日――。

 

◆再会の病室へ

 

病院の正面玄関に入ると、午前の外来が始まっている時間だった。

患者や家族が行き交い、ロビーはどこか落ち着かない慌ただしい雰囲気に包まれていた。

 

二人はセキュリティカードをかざしてエレベーターに乗り、病棟の階へ向かった。

扉が静かに開くと、白く清潔な廊下がまっすぐ奥へと伸びている。
消毒液の匂いがほのかに漂い、ナースステーションの前では看護師たちが、忙しそうに書類や器具を整えている。

 

修一が部屋番号を確かめると、奈葉は小さくうなずいた。
病室の扉をノックして開けると、窓から穏やかな光が差し込み、白い毛布に包まれたベッドを静かに照らしていた。  

母は二人の姿を見ると、ふっと肩の力が抜けたように表情を和らげ、ゆっくりと身を起こして微笑んだ。

 

「急にこんなことになって、二人には迷惑かけてしまったねぇ」

 

奈葉はすぐに首を振った。

 

「迷惑だなんてさ、お母さんが病気になったんだから当たり前でしょや」

 

母は少し気まずそうな表情で奈葉を見た。

 

「奈葉が東京から帰って来てくれたのは嬉しいけどさ、仕事は休んでも大丈夫だったのかい?」

 

奈葉は笑いながら答えた。

 

「会社には、今週いっぱい休むって伝えてあるから大丈夫だよ。

だからさ、私の仕事のことなんて気にしないで、お母さんは自分のことだけ心配してればいいんだよ」

 

それを聞いた修一も、うなずいた。

 

「そうだな、奈葉の言う通りだわ。

母さんは、もっと自分のこと考えなきゃダメなんだって」

 

母は二人の顔を見比べ、ほっとしたように息をついた。

 

「うん、ありがとうね。思ってたより早く退院できて、ほっとしたわぁ」

 

◆退院手続き

 

10時前、病室のドアをノックする音がして、主治医と看護師が入って来た。  

主治医は、退院後の生活で気をつけることや、今後の通院について丁寧に説明する。
奈葉は聞き漏らさないよう、隣で小さなメモ帳に書き留めていた。

 

説明が終わると、看護師が点滴の針を抜いた。

腕に貼られた小さな絆創膏が、数日間に渡る入院生活の名残のように見えた。

 

母はゆっくりとベッドから起き上がり、奈葉が用意してくれた新しい服に袖を通す。

軽く化粧をし、手鏡に映る自分の顔を見て、小さく微笑んだ。

パジャマ姿からきちんと身支度を整えると、ようやく日常が戻って来る実感が湧いた。

 

荷物をまとめる音が、静かな病室にそっと響いた。

母は何度も振り返り、忘れ物がないか確かめている。

 

ナースステーションの前で、三人は足を止めた。

 

「お世話になりました」

 

母が深々と頭を下げると、看護師たちは立ち上がり、温かな笑顔で送り出してくれた。

 

エレベーターで1階に降り、入退院手続きのカウンターへ向かう。
会計を終え、書類にサインをすると、短くも緊張感のあった入院生活は幕を下ろした。

 

病院の玄関の自動ドアが開くと、外の空気が一気に流れ込んで来た。
6月の十勝、ひんやりとした空気が肌を伝わる。
母が肩をすくめると、修一がそれに気づいて声をかけた。

 

「寒くないか? 車すぐそこだからさ」

 

駐車場を三人で歩いて行く。
遠くから鳥の声が聞こえ、病院の建物の影が長く伸びている。
母は歩きながら、何度も空を見上げていた。
それは、搬送された夜の空と、どこか見比べているようだった。

 

車に乗り込むと、修一がエンジンをかけ、ゆっくりと病院を離れた。

バックミラーには、白い建物がだんだん小さく映って行く。

奈葉は、流れゆく景色を見ながら、胸の奥に溜まっていた緊張が少しずつ解けていくのを感じていた。

 

◆思いがけない寄り道

 

車がJRのガードをくぐると、車窓にはビルやホテルが立ち並び始めた。

すると、母がふと思いついたように言った。

 

「ちょっと『ふじもり』(※)に寄って、お昼でも食べて帰ろうかい?」

 

思いがけない提案に、二人は思わず驚いた。

 

「退院したばっかで、『ふじもり』はないべや」

 

ハンドルを握りながら、修一がつぶやくように言う。

 

すると後部座席から、母の穏やかな声が返って来た。

 

「父さんが生きてたころはさ、帯広に出たら、みんなで『ふじもり』でよく食べたよねぇ。

せっかく奈葉も帰って来て、三人揃ったんだもの。

家帰ったところで、美味しいもん作ってあげられるわけでもないしさ」

 

奈葉は振り返り、諭すようにいった。

 

「私はさ、別に美味しいもんより、お母さんが元気でいてくれたらそれでいいんだよ」

 

母は少し照れたように笑った。

 

「ありがとうね。

じゃあ、私の快気祝いってことで、行きましょうかい。

ほら、そこの駐車場に入れてちょうだいな」

 

修一は、苦笑いを浮かべつつ、車のウィンカーを出した。

 

◆「ふじもり」の昼食

 

「ふじもり」のメニューは豊富だ。

和洋中が揃い、もちろん帯広名物の豚丼やインデアンカレーもある。

子どものころ、ショーウィンドウに並んだ色とりどりの食品サンプルを眺めて、胸を躍らせた記憶が奈葉の頭をよぎった。

 

「奈葉は、何にするかい?」

 

母の声は、幼い頃に聞いたままの響きだった。

 

奈葉は、ショーウィンドウを眺めながら少し考えた。

 

「……ええと、ナポリタンにしよっかな」

 

修一が、その言葉を聞いて懐かしそうに笑う。

 

「じゃあ俺は、シーフードドリアにすっかな」

 

母は黙ってうなずき、そのまま店に入った。

 

平日の昼前だったので、1階のテーブル席にはまだ余裕があった。

テーブルのタッチパネルを見るなり、母は迷うことなく「ふじもり特選弁当」と「数量3」をタップした。

 

「えっ?」

 

二人は顔を見合わせて、驚いた表情を浮かべた。

 

母は少し得意げな顔で言った。

 

「私の快気祝いに、ナポリタンやドリアじゃ物足りないべさ。

ここは、ぱぁっと豪快に行くべや」

 

奈葉は思わず笑みをこぼした。
子どもの頃に大好きだったナポリタンも恋しかったが、今は母の元気な姿を見ることの方がずっと嬉しかった。

 

ウェイトレスが水と箸、そしてメロンソーダをテーブルに置いた。

ガラスのコップの中で、氷がカランと響くメロンソーダ。
それは昔から変わらない「ふじもり」のサービスだった。

 

やがて運ばれてきた「ふじもり特選弁当」には、刺身や天ぷら、ステーキ、茶わん蒸しなどが美しく並んでいた。

値段が一番高いだけあって、ボリュームも十分だ。

奈葉と修一は、思わず顔をほころばせた。

 

◆小さな快気祝い

 

母は、箸をゆっくりと動かしながら、一口ずつ丁寧に口へ運ぶ。

ご飯を少しだけ残したものの、ほとんどきれいに食べ終えた。

その光景は、奈葉にとって何よりもうれしい贈り物のように思えた。

 

3人は会計を済ませ、店を出て駐車場へ向かって歩き出した。

母はお腹をさすりながら、満足そうに笑った。

 

「いやぁ、お腹いっぱいだわ、ほんと」

 

その声に、修一が苦笑する。

 

「母さん、よく食べれたねぇ」


「病院食ってさ、私の体のこと考えたメニューなんだろうけど、もうちょい味が濃かったらよかったわ」

 

すると修一は、少し真面目な声で言った。

 

「母さん、濃い味だと血圧上がるらしいんだわ。
心臓の病気なんだから、気ぃつけないとダメだべさ」

 

母は肩をすくめて笑う。


「そんなこと言われても、もう胃袋ん中に入っちゃったわ」

 

三人の間にふっと自然な笑いがこぼれた。
まるで小さな快気祝いのひとときのようだった。

 

◆家に帰ろう

 

修一が車のキーを取り出す。

 

「さて、帰るべか」

 

母はゆっくりとうなずいた。

 

「そうだねぇ。家さ帰ろうかい」

 

その何気ない一言に、奈葉の胸をほんのりと温めた。

 

――家に帰る。

 

それだけのことが、こんなにありがたいものだったのかと、今さらのように思う。

 

車は、駐車場からゆっくりと西二条通りへ出た。

初夏の風が、窓の外を静かに通り過ぎて行った。

つい数日前まで、母が病院のベッドに寝ていたことが、嘘のように思えた。

 

奈葉は、胸の奥に小さな安堵を抱えながら、静かに前を見つめていた。

 

――母が退院した。

 

それだけで、今日はもう十分だった。

 

[つづく]

 

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